フレッド・アステア プロフィール

フレッド・アステア(Fred Astaire 1899.05.10~1987.06.22)

本名:フレデリック・アウステルリッツ(Friedlich Östlritz)

オーストリア系ドイツ人移民の父と、アメリカ人の母の間に、ネブラスカ州オマハで誕生した。ブロードウェイ時代より、英国国教会の信者。

主にハリウッドで活躍した俳優であり、ダンサー。ミュージカル映画史上に、大きな足跡を残した。

アステアがスクリーンデビューした1930年代は、ミュージカルシーンは、群舞を細かく編集して画面をつくり、一人のダンサーの力量を見せるよりも、撮影を工夫して美しい画面を作り上げるのが主流であったが、アステアは、超人的ダンステクニックで、「カメラが、ただ一人の人を追い続ける」ことで、それを凌駕する美を作り上げた。

歌手としても、数多くのナンバーを歌い、「スタンダードナンバーの創唱数は、フランク・シナトラよりも、ビング・クロスビーよりも多い」とも言われている。


アステアの外見的特長

身長……約175cm⇒身長については別コラムがあります
体重……着衣で約63キロ
目の色……茶色
髪の色……濃い茶色

アステアの通ったダンス・スクール

クロード・アルヴィーン・ダンス・スクール(NY)
ネッド・ウェイバーン・ダンス・スクール(NY)
どちらも、姉のアデールと共に通った。


アステアとタップ

アステアの紹介として、「一流のタップダンサー」という言い方があるが、ファンとしては、それにはちょっと異論のある人が多いだろう。アステアは、「タップダンサー」ではなく、「ダンサー」なのであり、タップはアステアの豊富な魅力の1面にすぎない。

しかし、「とか言っても、なんたってタップが一番素敵でカッコイイ」というファンがほとんどであることも事実である。
実際、フレッド自身が、タップは好きで興味を持ったダンスなのである。フレッドは、7~8歳くらいのときから、ヴォードビリアン仲間のタップに惹かれ、自分も踊るようになった。つまり、ダンス学校の授業で習得したのではないのである。

アステアのタップの優れているのは、速さや正確さももちろんだが、ちょっと先の読めないステップ展開と、軽快で力強いタップの世界に「優雅」と「粋」を持ち込んで成功したところである。これは、完全にダンサー・アステアの個性がタップの上で開花した結果であり、

「技術のことを追求していったら、それがいつしか個性と独創性の追求と同義語になっていった」

という、表現者としては最高の道程を歩けたことの証明であると思う。(フレッド自身は、「ダンスで表現しようとか、考えたことない」と自伝の中で語っているが)

アステアの歌

アステアは、たたき上げのエンターテイナーなので、歌もそつなくこなすが、さすがに「大シンガー」とは言いかねる。本人も、音域が狭いことを自覚しており、「自分は歌はプロじゃないから」的な発言もしている。
しかし、「でも、味があるだろ?」的な自信は持っていたようである。

他人からの評価としては、アーヴィング・バーリンが、「彼の歌はうまい」と評価している。「ジョルスンに匹敵するほどうまい」と言っているので、誉め言葉としては最高レベルである。
バーリンいわく、「歌を表現する精神運動が優れている」とのことで、要するに、「その歌が本質的に伝えようとしていることを、うまく伝えることができる人だ」と言っているのだと思う。これは、アステアのダンスについてもいえることである。

おそらくアステアは、伝達に優れていたのだ。だから、素人も玄人も取り込めるのである。

アステアの得意な楽器

ピアノ、ドラム(うまいんだ、これが)、アコーディオン

アステアの得意なスポーツ

アステアは、スポーツは万能タイプだった。テニスも、乗馬も、ローラースケート、スケボーも、みんな簡単に人よりうまくなったそうだ。

本人が好きだったという意味では、何といってもゴルフが一番。15歳頃からゴルフに親しんだ。後年、スクリーンで見せた「タップしながらゴルフボールを打つ」というダンスは、やはりアステア自身がゴルフを好きだったことが大きいのだろう。

ほとんどのスポーツは、80過ぎてからも達者だった。スケボーだけは、77歳のときに転倒して骨折したことがあり、いくらか自重していたようだ(フレッド的には黒歴史らしい)。

アステアの好きなゲーム、ギャンブル

10代からビリヤードが好きで、成人した頃にはプロ並みの腕前だった。アステアのビリヤード・プレイは、TVの「ドクター・キルデア」にゲスト出演した際に披露されている。

好きなギャンブルは圧倒的に競馬。これも20歳前後からはじめ、後には自分の馬を持ち、ジョッキーを二度目の奥さんにすることにもつながった。

アステアのよく通ったレストラン

  • チェイスンズ
  • ラ・スカラ
  • ザ・ビストロ
  • エイドリアノス

映画とダンスは、見るのも好き

映画と舞台のダンスは、「出るほう」でなくても、「見るほう」としても好きだった。
新しいダンスが話題になるとチェックし、そのほとんどに、「自分には無い点」「今までに無かった点」を見出して感心していた。ダンスの名人として、後発のものを酷評するようなコメントは一つも残っておらず、謙虚に他者を賞賛するコメントしか見つからない。

ナイスガイ・アステアとして、毒舌トークは封印していたとも取れるが、賞賛の内容に、非常にリアリティがあり、「社交辞令で褒めている」わけではないのだろうと思われる。

アステアの趣味?

なぜか、警察関係の見学が好きで、警察車両に同乗させてもらったり、警察の朝礼を見に行ったりしたらしい。

死体置き場や、犯人の面通しも見に行ったというので、結構ディープに好きだったようだ。

朝礼の見学には、奥さんのフィリスも喜んでついていったらしい。

アステアとスクリーンテスト

アステアの映画デビューにつながったスクリーンテストは、1933年にRKOの求めに応じたものだった。(セルズニックが、アステアを欲しがったために行われたもの)

しかし、アステアの最初のスクリーンテストは、舞台時代に、姉のアデールとともに受けたパラマウントのテストである。そのときには、二人とも契約には至らなかった。二人とも、自分のスクリーン上の映像を見て、落ち込んだと伝えられるが、何がそんなに「ダメ」だったのだろうか。緊張しちゃって、100パーセントのパフォーマンスができなかったのだろうか?
アステアは、後年にも自分の顔がスクリーン向きでないと嘆いたりしているので、外見的なこともあったのかもしれないが、アデールは外見はまったく問題ないと思うが……(私はフレッドだって何の問題も無いと思っております!)。

二人がパラマウントを受けたのは、20代の半ばのことなので、その頃にはフレッドの「粋」も完成していなかったのだろうか。完成していなかったとしても、相当に成長した芽があったはずだと思うのだが。いずれにせよ、アステアの将来を見抜けなかったパラマウントには「バカだなあ」と申し上げたい。儲けそこないましたなあ。

「バカだなあ」と言えば、MGMのスクリーンテストを評価していたヤツもどうかしている。MGMがアステアをスクリーンテストしたときの有名な評価コメントとして、
「演技だめ、歌だめ、少しはげている。少し踊れる」
という言葉が伝わっているが、演技と歌とはげはともかくとして、「少し踊れる」とはどういうことなのだろう?

アステアは、ブロードウエイで頂点を獲ってハリウッドに進出したのであり、MGMは、アステアを超絶ダンステクの人であることを知ってテストしたはずだと思うのだ。
テストした奴は、一体誰だ? 出てきて名を明らかにしてみよ!

(RKOでのテストでも、なぜかアステアの残した結果は悪かったそうだが、セルズニックは「これだけ悪いフィルムの中にも、彼の上質さは現れている」として契約したのである。セルズニックの見識の高さに拍手!)

家庭人としてのアステア

アステアは、家庭を「最高の安らぎの場であり、幸せのありか」と考えていたらしい。よき夫であり、よき父親であったようである。
「父親であることは、自分の人生で最良のこと。それに比べたらダンサーとしての成功など、取るに足りない」という、アステア本人の言葉が伝えられている。

娘:エヴァちゃんによれば、家の階段を舞台に見立てて、ダンスを披露してくれることが珍しくなかったそうだ。(なんという贅沢!)

また、ハーミズ・パンの証言によれば、アステアは、基本的にランチ休憩時には、必ず最初の妻:フィリスに電話をしていたそうである。どれだけ妻子を愛していたのだろうか。

アステアは、二回結婚していて、しかも二回目の結婚は、周囲の大反対を受けたりしているが、2回とも女房とは愛し愛される幸せな関係を築いていたようだ(一回目の妻とは死別)。
そういう意味では、家庭の愛に恵まれた人生だったのだろう。

アステアとスキャンダル

アステア唯一の恋愛スキャンダルは、ロビンと再婚した後に、「若い女に走り、女房と離婚しようとしている」とタブロイド誌に書きたてられたことである。なんと、82歳にして初のスキャンダルだった。
全くの根も葉もないガセネタだったせいか、アステア夫妻にとっても、映画スターアステアにとっても、ダメージはほぼ無かったようだ。
(アステアファンとしては、これを当時の大衆がどう受け取ったのかを知りたいところだ)

アステアの死

1987年6月12日、アステアは風邪から肺炎になり、センチュリーシティー病院に入院した。二度目の妻ロビンの献身的な看病もむなしく、その十日後に世を去った。最後には、喉にチューブを入れられ、話すこともできなかったが、ロビンの声には視線だけで応え続けた。

アステアは、ロビンの腕の中で息を引き取ったと伝えられている。愛された夫として、ほぼ最良のエンディングではなかったろうか。

アステアの受賞歴

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