アステアは、「自分のダンスシーンを見て、重いなあ……と思った」との発言をのこしている。
これは、生涯にわたって、何回か口にしている言葉なので、おそらく謙遜でもなんでもなく、本当にそう思っていた可能性が極めて高いと私は思う。
アステアのいう「重い」とは、「重厚な」という意味ではなく、「鈍重な」という意味だと思う。もっとくだけた言い方をすれば、「重っ苦しいなあ、全然踊れてないじゃん……」という意味だと思うのだ。
(アステアが「踊れてない」なら、人類で踊れた人などいないじゃないかと私は思うが)
もっとも、アステアは、「自分はダンスがヘタです」という発言はしていないのである。また、「ビル・ロビンソンに比べると重い」とか、「ジーンはもっと軽快だ」とか言っているわけでもないのである。では、何から見て「重い」と言っていたのだろうか。
私は推測する。アステアの踊りは、鈍重だったのだ。彼の脳内に現れた、「彼の完成予想図」に比べたら。
アステアは、それを「できる」と思っていた。少なくとも、「不可能ではない」と思っていた。
しかし、果たしてそれは、本当に人体にできる領域のダンスだったのだろうか。
おそらく、それを実現させたら、それはすでに「天上の踊り」であって、実質アステアは、「天上の踊りと比べると重い」と言っていたのではないだろうか。
人間は、無いものの想像図を思い浮かべることは、基本的にはできないのだそうだ。(だから、想像上の怪物とかは、実在のものの切り貼りでできている)
普通の人間にしてみれば、アステアのダンスは、人間の踊れる領域の、ほとんど限界線上にあるみたいなものだ。あれより「もっと踊る」ことを想像しようとすると、空を飛ぶとか、特撮なしで「恋愛準決勝戦」の天井ダンスをするとか、そういう非化学的な不可能現象くらいしか、思い浮かべられなくなってしまう。
しかし、アステアは本人が「限界線上」にいたので、そこより更に先にあるダンスを、非化学現象に逃げずに、リアルに思い浮かべることができたのだろう。
最も優れた踊り手の脳内にあったダンスは、一体どれほど美しいものであったのだろうか。