※いわゆる「舞台」とは言えないかもしれませんが……ステージには違いないので舞台カテゴリに入れました
1944年8月から9月にかけ、アステアが参加したUSO(United Service Organizations =米国慰問協会)による慰問活動の一つ。イギリス→フランス→ベルギー→オランダ→フランス→イギリスの各国を、6週間で回り、様々な場所で(あるときはトラックの荷台で、あるときはオペラハウスで、あるときはベルサイユ宮殿で、あるときは爆撃された劇場でetc)ショーを行った。
イギリスでアステアは、アデールに会い、デイヴィッド・ニーヴンにも再会している。舞台では、ジャック・ブキャナン、ブロデリック・クロフォード、ビング・クロスビー、ウィリー・ショア、ダイナ・ショアらと共演している。
(アデールとも同じステージに上がっているが、アデールと踊ったという情報は無いので、アデールは司会やトークゲスト、あるいは単に顔を見せてGIたちに一言メッセージを送る程度だったのかもしれない)
ツアー中のエピソード
- アステアは、常にGIのジャングルブーツで踊った(非常に受けた)
- 軍の慰問関連興業について、アステアはたびたび「なぜか連絡がうまくいかない。段取りのとおりにことが運ばない」と、不思議そうに語っている。このツアーもそうだったようだが、戦地を進んでいくツアーだったため、途中から致し方なし、と思うようになったようだ。完璧主義のアステアとしては、悔いの残るステージもあったと思われる
- 当ツアーのスチールとして有名なものに(usoがあちこちで使ったからだろう)、ベルサイユ宮殿のステージでアステアが踊る一枚がある。このステージでは、5000人の観客が集まり、軍服・軍靴で踊るアステアに、GIたちが熱狂した
- ベルギーで、通りかかった少年に「あなた、ジンジャー・ロジャースでしょう?」と言われた
- アステアの自伝には、オランダで、アステア自身が劇場に出向いて使用許可を取り付けるくだりがある。軍服姿のアステアを見て、劇場支配人は一発OKをくれたそうな
- 帰路の船上で、アステアとクロスビーは予定外のショーを行い、疲れ切ったGIたちを喜ばせた
- ドイツの軍人(捕虜ってことですよね?)からサインを求められた