トリプリケイト Triplicate

(人名辞典に入れていいものかどうか分からないが……)

アステアの所有していた牡の競走馬。親しかった調教師のクライド・フィリップスに頼み、1944年に、6000ドルで買った。

足の悪い馬だった

競走馬の値段の相場というものが私には良く分からないが、足に悪いところがあった馬らしいので、6000ドルというのは、安い値段であるのかもしれない。アステアのオーダーとしては、「1頭1万ドルまで出していい」ということだったそうだ。

素人の疑問としては、足の悪い馬を買うのは相当のハイリスクのような気がするのだが……「今後良くなる」と見極めて買うものなのだろうか??

トリプリケイトの戦績

アステア所有の馬になってから、トリプリケイトは足が回復し、戦績も良くなった。
生涯獲得賞金は24万ドル。この金額が多いのか少ないのか、私には分からない。(ちなみに、私でも名前を知っているアメリカの名競走馬アルソブは、生涯獲得賞金およそ35万ドルだそうだ)

最も大きなレースの優勝は、1946年のハリウッド・ゴールド杯。日本語版wikiのハリウッドゴールドカップのページにも、ちゃんとトリプリケイトの名前が書いてある。
残念ながら、騎手と調教師の名前はあるが、馬主の名前は無く、アステアの名は載っていない。しかし、英語版の方にはちゃんと馬主の欄にフレッド・アステアと書いてある。

トリプリケイトの性格

トリプリケイトは、性格的には勝気だったそうである。ただし、モチベーションに波があり、粘りきれずに負けてしまうこともあったとのこと。
アステアが厩舎を訪れると、「何が映画スターだ」と言った目で見たそうである(もちろん、トリプ自身の談話ではない)。アステアは、かぶっていたストローハットを奪われ、食われてしまったことがあると自伝に書いている。

トリプリケイトの引退

トリプは、1948年に足の故障で引退。後に吉田善哉に売却され、日本で余生を送った。
吉田氏は、「社台グループの吉田さん」「吉田照哉のお父さん」の、あの吉田さんである。競馬に詳しい人には当然以前の知識だと思うが、競馬に疎い私が知っている理由は、私が千葉県の出身だからである。社台グループは、千葉県に牧場を持っていたのだ。

トリプリケイトが日本に来た1948年には、吉田氏は千葉の牧場を切り回していたはずなので、私はトリプリケイトも千葉県在住であったと信じている。「Triplicate GO!」ではなく、「トリプリケイト、行くっぺ!」とか言われていたと思うのである。富里の牧場の方は、結構千葉弁がきついのである。

追記

社台がトリプを買ったということは、もちろん種馬として買ったのであり、だとすればトリプの血を引く馬たちが日本の競馬を走ったに違いないと気づいたので、グーグルさんに助けてもらって、トリプリケイトを父に持つ競走馬を探してみた。すると、「千葉の社台牧場の牡馬:トリプリケート」の子供たちの存在が確認できた。トリプが日本の競馬界にのこした子供たちはこちらで見ることができる⇒競馬データベースドットコム

更に余計な追記

トリプリケイトとは全く何の関係も無いが、私は「ドリームアステア」という名前の競走馬がいることを知っている(引退してしまっているかもしれない)。「アステア」で検索をかけて、随分しつこく検索結果を見ていると、たまにこの馬の名前に行きついたのである。
名前しか知らないので、成績などはもちろん分からない。
ただ、走るより踊るほうが得意になりそうな気がするため、「競走馬のネーミングとしては微妙だなあ」と思っている。

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