コール・ポーター Cole Porter

作詞・作曲家(1891.6.9~1964.10.15)。米インディアナ州ベルーの生まれ。カリフォルニア州サンタモニカで没。

多数のスタンダードジャズのナンバーを創作した。自分で歌をうたうこともある。
スタンダード・ジャズのアンソロジーを手にとって、ポーターが入っていないとびっくりするほどの大作曲家。

父は薬剤師、名前はSam Porter。母の名はKate Cole。両親の苗字を取ってCole Porterとした。
母親が財産家の娘だったため、母親の両親からの資金援助で裕福に育った。幼少時からピアノ(6歳から)とヴァイオリンを習い、10歳から作曲を始めた。彼の、生まれて初めて書いた曲のタイトルは、「Song of the Birds」だそうである。

エール大学を卒業し、ポーターが弁護士になることを望んだ祖父のために、ハーバード・ロースクールに進学するも、音楽の道を進むために退学。作曲家としてデビューする。
ポーターの曲が洒落て上品なのは、育ちのよさから来ているのだろうか。

幼い頃から、才能が開花した割に、ポーターが認められたのは比較的遅い。
彼の作品の正式なデビュー(大学時代に、ショーやクラブのために書いた曲は別と考える)は1916年のブロードウェイなのだが、これは不評で、失敗に終った。
傷心したポーターは、パリに渡り、母や祖父からの送金で、音楽の勉強をしたり、遊んだりと、気ままに過ごしていた。

初めて認められたのは、1928年にNYでショーにかかった「パリ」である。その成功後、ポーターはアメリカに帰り、スタンダードジャズの第一人者として知られるようになる。
ポーターの、生涯の作曲数は、およそ1000曲ほどと言われているが、実際は、それよりも多いだろう。

ポーターは、実は「二丁目系」の人である。しかし、ちゃんと奥さん=リンダ夫人がいる。(リンダ夫人は、アステアの最初の妻:フィリスと縁続き)夫人は、「二丁目」を承知で交際を重ね、結婚にいたった。
ポーターは、リンダ夫人と、ベッドをともにしていないと言われている。しかし、ラブ・ソングのほとんどは、リンダ夫人に捧げられた曲だそうである。作曲家って、深い!

1950年代までは、精力的な創作活動を続けていたが、落馬事故にあい、両足を切断。そのために、創作意欲をも失ってしまい、人との交流も避けるようになり、寂しい死だったという。

1991年に、ポーターの肖像が、アメリカの記念切手に採用された。
2004年に、ポーターの伝記映画「五線譜のラブレター」が製作・公開された。

アステア作品には、舞台の「陽気な離婚」に、映画では、「コンチネンタル」「踊るニューヨーク」「踊る結婚式」「絹の靴下」に曲を書いている。

●代表作 (★はアステアのナンバー)
「夜も昼も」Night And Day
「ビギン・ザ・ビギン」Begin The Beguine★

(当ブログのタイトル「夜も昼もアステア!」は、「Night And Day 夜も昼も」にちなんでいます)

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