アステア関連人名事典

アン・アウステルリッツ Ann Austerlitz

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アステアの母親。旧姓ゲリアス。
オマハでフレデリック・アウステルリッツ(アステアの父)と出会い、数ヵ月後に結婚した。

もともとショービジネスの世界に夢を持っていたアンは、ダンススクールに入った娘アデールが、ダンスの才能に恵まれていることを知り、1904年、より専門的なレッスンをアステア姉弟に受けさせるために、夫を西部に残して、二人の子供とともにNYに拠点を移した。NY行きには、何の伝手も持っておらず(つまり、スクールの紹介などではなかった)、ひたすらにわが子の才能だけを信じたチャレンジであったという。

アンは二人の才能を開花させることに固い決意を持ち、熱心な舞台教育によって、姉弟をステージデビューに導いた。彼女はチャレンジに勝ったのだ。

デビュー後は、実質のマネージャーとなって姉弟を支え続けた。アンは教師の資格を持っており、定まった場所の学校に通えない子供たちに、自分で学問を教えた。

NYに移った時点から、15年余りも夫と別居状態になってしまい(夫は、家族の生活費を稼ぐために西部に残った)、しかも、晴れて夫が東部に移ってきたときには、夫は癌を患っており、同居開始後、3年ほどで他界してしまった。

アン自身は96歳まで長生きし、脳卒中で亡くなった。子供たちを誇りとし、子供たちに愛された母親だった。
晩年まで、アステアのことは「サニー」と呼んでいた。

アステアによる母親評は、
「美しく、優しいが厳しい人」

アンの写真は、いくつか見ることができる(書籍やネット上で)が、おばあさんと言える年代になってからのものばかりである。確かに、きれいなおばあちゃんだ。アデールの母親なのだから、若いころはさぞ美しかったことだろう。
見ることのできる写真のほとんどは、「大スターアステアと、彼の隣でほほ笑む彼の母」という構図である。アデールの笑顔に通じる「愛嬌」のほの見える微笑である。

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