アステア関連人名事典

フィリス・アステア Phyllis Astaire

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アステアの最初の妻。(1908~1954 マサチューセッツ州生)
旧姓ポッター。愛称フィル。

フレッドが心から愛した恋女房。二人はヴァージニア・フェア・ヴァンダービルトのパーティーで出会い、デートをするようになった。
出会った当初、フィリスには夫がいたが、すでに不仲で、間もなく別居することになった。
フィリスは、アステアと出会うまで、彼の舞台を見たことが無く、それがアステアには付き合いやすかったらしい。

前夫と離婚したフィリスは、離婚調停が決した翌日、1933年7月12日にアステアと結婚。前夫との間には息子のピーターがおり、子連れ再婚だった。
多忙なアステア夫妻のハネムーンは、ハドソン川のクルージングだった。

顔写真を見るに付け、フィリスはきりっとした美人である。バーグマンに似てる、と言ったら誉めすぎだろうか。
学生時代はトラック競技のトレーニングをしていたため足が速く、ゴルフやテニスや射撃もうまいスポーツウーマンだった。スポーツマンであるアステアと、色んなスポーツを一緒にプレイした。フレッドは、彼女のゴルフの腕前が自慢だった。
テニスと射撃にいたっては、夫のフレッドよりもうまかったらしい。

また、お嬢さん育ちの割りに、財産管理などがしっかりできる人で、事業家的手腕も持っており、アステアの財産を増やすのがうまかったらしい。

アステア・ロジャース映画に、キスシーンがほとんど無いのは、一般的には、フィリスがアステアに「キスNG」を出したためと言われている。しかし、フレッドはかたくなにこれを否定している。

フィリスは、コール・ポーターの妻、リンダと遠い親戚にあたるが、フレッドとフィリスは、ポーター夫妻の紹介で知り合ったわけではない。

1954年、肺ガンで死去。亡くなった直後には、フィリスの墓の前で何時間も過ごすアステアの姿が見られたという。
フィリスの死後、アステアが長く再婚しなかったのは、ひとえに彼女との愛が忘れられなかったためらしい。よほど幸せな夫婦生活であったのだろう。

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