アデール・アステア Adele Astaire

The Astaires: Fred & Adele

フレッド・アステアの姉。アステアの、一番初めのダンス・パートナー。(1896.9.10~1981.1.25 米ネブラスカ州オマハ生)

本名:アデール・マリー・アウステルリッツ(Adele Marie Austerlitz)

オマハのチェンバース・ダンス・アカデミーでダンスの才能を開花させ、後にNYのクロード・アルヴィーン・ダンス・スクールに移り、フレッドと共に、同校のスターとなる。

ダンスが超一流であるばかりか、美人で、愛嬌と喜劇センスを備えていた。アデール&フレッドのコンビ時代には、アデールの方が人気が高く、アデールの結婚のため、コンビが解消するときには、「弟だけで売れるのか?」と心配の声もあがったという。

アデールとフレッド

アステアは、姉のダンスの才能も、舞台人としてのスキルも高く評価していた。
アステア姉弟は仲が良く、しばしば一緒に外出し(晩年にも二人でパーティーに出たりしている)、ダブルデートすることもあった。アステアは、姉を「デリー」もしくは「デール」と呼んだ。

二人の親密な関係は、アデールが亡くなるまで続き(アデールは、ロビンとの再婚に反対していたのだが、それも二人を引き裂くことにはならなかったようだ)、姉の訃報を知らされたアステアは、にわかには現実を受け止められなかったという。

アデールは、陽気な美人

アデールは、性格は明るく陽気。楽しいことが大好きで、おしゃべりもうまく、人をとりこにしてしまうような魅力があったようだ。
アデールに対面したセルズニックは、彼女の魅力にまいってしまい、すでに芸能界から引退して、まったく復帰の意思の無いアデールに、映画デビューを持ちかけたことがある(フレッドは、いい話じゃないかと思っていたらしい)。

ステージの後は……

美人のアデールは、デートの相手に事欠かなかった。舞台のはねたあとには、連日デートの約束が詰まっていた。また、アデール崇拝者たちからは、プレゼントがひっきりなしに届いた。アデール自身、華やかな付き合いは嫌いではなく、むしろ享楽するタイプの女性だったようだ。

アステア姉弟は仲がよかったので、ステージ終わりに一緒に夜の街に繰り出すこともあり、ショーの仲間たちも含めてナイトクラブに出かけたり、パーティーに出かけたりした。また、アデールのボーイフレンドとフレッドのガールフレンドが合流し、ダブルデート状態で楽しむこともあった。

アデールと映画

アデールは、フレッドとともに、パラマウントのスクリーンテストを受けている。つまり、映画畑に行く気はあったのである。
パラマウントのテストをクリアできなかったため(姉弟もろとも落ちたのである)、アデールの映画出演は実現しなかった。

たった一度だけ映画に出演する可能性があったのは、1937年に、イギリスで製作された映画にダンサー役で出演する契約をしたときのことである。しかし、彼女は撮影に入って一週間で、自ら役を降板した。このときの彼女の相手役は、ジャック・ブキャナンである。

アデールの結婚生活

アデールは、生涯で2回結婚している。(フレッドと同じである)最初の夫はチャールズ・キャベンディッシュ。1932年に結婚式を挙げた。
二番目の夫は、1947年に結婚したキングマン・ダグラス。どちらとも、死別している。

アデールの「顔」

アデールの写真を見て、不思議に思うのだが、アデールとフレッドは、姉弟だけあって、顔がよく似ているのに、なぜか「お姉ちゃんは美人、でも弟は美男じゃない」という結果になっている。普通、美女に似た男は美形のような気がするのだが……?

よって、私は、フレッドは「隠れ美男」みたいなものではないかと思っている。きっと、どこか一ヶ所修正すれば、びっくりするような美男になるのである。そうは言っても、いくら写真を見ても「修正必要箇所」を指摘することもできないし、よしんば指摘できたとしても、長年愛してきたあのフェイス(ファニーフェイスというのは、オードリーじゃなくてフレッドの方だ)が変わって欲しいとも思わないんだけど。

フレッド&アデールが出演した主な舞台(ボードビリアン時代は含みません)

1917年 オーバー・ザ・トップ
1918年 ザ・パッシング・ショウ・オブ・1918
1919年 アップル・ブロッサムズ
1921年 ラヴ・レター
1922年 フォー・グッドネス・セイク
1922年 バンチとジュディ
1923年 ストップ・フラーティング
1924年 レディー・ビー・グッド
1926年 レディー・ビー・グッド
1927年 ファニー・フェイス
1928年 ファニー・フェイス
1930年 スマイルズ
1931年 バンド・ワゴン

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